アメリカ碁コングレス
 2007


23rd  US GO Conngressは、728日から8月4日の1週間、
LancasterMillersville University 開催された。
参加者は約
500名(内子供100名)で、囲碁三昧の日を過ごした。




                                                                      加田美保子

やっと出発


昨年私は「これが最後」と言って、ヨーロッパ碁コングレスに参加するため、
イタリアのフラス・カーティに行った。

そして、今年の春、大阪・神戸で活躍している人達(女性)からお誘いの電話を頂いた。
彼女達と同行すれば楽しいこと間違いなし、「行くっきゃない!」と思った。

ところが、6月末頃、耳に異変が起きた。病名は「突発性難聴」。
即ベッドに横になり、ステロイド剤とホルモン剤の点滴を受けた。
点滴を受けながら「先生、アメリカに行く予定があるんですが?」と聞くと
「大丈夫、まだ1ヶ月もあるから」と美しい女医さんが言った。
ところが、一向に良くならない。

そして、出発間近のある日、
「そろそろ卒業だね、アメリカ楽しんでおいで」と言ってくれた。
思わず涙が出そうになった。それでも環境が変わるからと、大量の薬をっもらった。


またまた
やって
しまった。

走ったり
迷ったりの
珍道中


私たちは、ニューヨークで23日滞在した。

JFK空港からバスで市内へと向かった。
市内に入って、自由行動となった。
バスが停車したところに、うどん・寿司の大きな看板が出ていた。

しばらく集団で行動していたが、好奇心旺盛な櫛部さんと私は、
「向こうの方に公園があるね、行ってみない?」
「この辺でミュージカルやっていない?」気がついたら二人になっていた。


迷ったときのために、目印の写真も撮った。時間もたっぷりあるので余裕で楽しんだ。

しばらくして、道を曲がったときの目印がない、うどん寿司の看板がない。
もう一筋向こうよ、と どんどん走った。
時間が迫ってきたので、シェラトン・ニューヨークホテルへ行って
電話(この電話は緊急連絡用に教えてもらっていた)をすることにした。
やっとの思いでコインに両替し、公衆電話から架けた。しかし、つながらない。

原点に戻ろうと言って、走っていたら見つけてくれた。
ああ…なさけない。昨年のローママラソンを思い出した。


ニュー
ヨーク
市内観光

       


荘厳なゴシック建築から近代的なメタリックのビルが美しく点在している。
ニューヨーク
2大スポットの自由の女神・セントラルパーク……満喫した。

ジョンレノンが射殺されたところにお花が飾られていた。

観光の後、ニューヨーク碁センターを訪問。大堀様(元センターの席主に会う。

           

本戦


本戦は、729日から84日の1週間。
中間の水曜日にいろんな観光が企画さ
れている。


本戦 第1局

対戦カードが表示
69番のテーブルに座る。
対戦相手が来ない。不戦勝かな、といい加減な気持ちになる。
「外に出てください、対局相手を組みます」と言われ、外に出た。
結局声を掛けてきた人が対戦相手となった。


最初の出だしは良かったと思う。
良いと思ったときが負けであることを今回の対局で痛感した。
結局
2.5目の、負けであった。




   


本戦 第5

いつも愛想良く挨拶をしてくれている人が着席。
名前は
Unl Steven彼がW・私がB

今までの対戦相手は、かなり長考で、
持ち時間の
1時間30分を全て使った人ばかりであったが、
彼は
1時間程度であったので、比較的気持ちよく打てた。
しかし前半は遅れていたように思う。
結果、49:61で,私の
4目半勝ち(コミ7.5)になった。

対局後、
日本の方が私を探していた。
先程の対戦相手が解説を頼んだようだ。
解説をしてくださった人は、田中
mituyuki さん。
今回は見学のみと言っておられた。




ペア戦



サイドイベントがたくさん企画されているが、ペア碁は人気であった。
日本でペアが決まっている人、大会会場で決まった人、
「私を選んでくれてあいがとう」と、微笑ましい会話が聞こえてくる。
ペア碁ならではである。大堀さんが「余っている女性は居ませんか」と言ってきた。
私は思わず目を伏せた。結局、石塚様とペアを組むことになった。
翌日からは、打ちましょうと、特訓をしていただいた。




第3テーブルのペア戦

高段上位から4ペア1組ずつ組み合わせていく。
私たちは第3テーブルになった。

1回戦


 兵頭俊一*峰松房代

中山典之プロ*長谷川加奈美


  兵頭*峰松ペア・勝ち

ThomasDebbie
 対
石塚晴久*加田美保子

ThomasDebbieペア・ジゴ勝ち

Thomasさんは、20歳のとき、台湾からアメリカに来られ、
現在、ロチェスター大学の先生をしておられる。
囲碁の普及に貢献され、現在、世界囲碁連盟の理事(世界で
11名)。


       


決勝戦(2回戦)


Thomas*Debbie ペア

兵頭*峰松ペア

Tomas* Debbis ペア・優勝

3位決定戦



石塚*加田ペア

中山典之プロ*長谷川ペア

石塚*加田ペア・3位

石塚晴久さんも学生の頃にニューヨークに来られた。
昨年まで日本棋院アメリカの会長を勤め、現在、理事長。

私のペアの石塚さんは持碁のため、
1回戦をクリアー出来ず、チョッピリ悔しそう。


                                       

指導碁



日本
中国
韓国

プロ棋士

指導碁を
して
くださる。





中山典之プロ


ペア戦のとき、きめ細かく最初から解説していただいた。

「これはだめ」
「これはいい手ですねー」
と言っていただいた。

ペア戦でいただいた賞金で中山先生の本を買った。
中山先生の愛弟子中田さんの協力もあって、
ご丁寧なサインをいただいた。




芦田磯子プロ


私が囲碁を覚えて10級の頃、
尼崎アルカイックホールで開催された公開対局に行った。
東野兄弟プロ対宮本兄弟の対局があり、
解説は、趙 治勲プロであった。

たくさんのプロ棋士が参加されていたが、
芦田磯子先生の美しく上品なお姿が印象にのこり、
ひそかにあこがれていた。


磯子先生はライフ事業団の仕事で来られたようだが、
幸い私たちに指導碁を打っていただいた。
私はうれしさのあまりにこにこしていた。
「碁盤の前に座ったら気持ちを引き締めよ」と、
どこからとなく厳しい声が聞こえてきた。




中野泰宏プロ


ある日、中野プロの講義を聞きに行った。
旅の疲れと前田プロの講義と重複したためか、
一番前の席で睡魔に襲われた。
しばらくして、津軽三味線の演奏となった。

「先生、三味線を始めた動機は何ですか」と尋ねたら
「熱心に勧めてくれる人が居たのと、先生が美人だった」
そうか、後者に動機があったのだ。

先生は、無表情で控えめな感じ。

昨年、碁吉会・いずみの会大会にお出で頂きました。
そのときは、ご縁が無くて、ご指導に与らなかったが、
以前、
ペア戦で組んでもらって東京に行った大学生に似ていると思った。

閉会パーティでは、美しい彼女たちにカメラを向けていた。


前田 亮プロ


 前田プロのレクチャーはいつも満席。
さすがに7年連続で指導しておられるので人気がある。

閉会式のとき、プロ棋士が紹介された。先生は席に居なかたので
「マエダ・マエダ」と大勢の人達がコールした。

         

鳴沢康一プロ


「打ちましょか」「良かったら打ちますよ」と、
やさしく声を掛けていただいたのが、鳴沢先生であった。


閉会パーティに遅れたため、彼の席がなかったので、
英語の堪能な女性軍が、急遽、
私たちのテーブルに彼の席を作ってもらうことができた。

いろいろ話をしていると「昨年はフラスカティに行きましたよ」と、
なんとなくお互い思い出したようだ。